海都です。
ぼくは最近、伝統工芸品にものすごく
関心を持っていてその製法などを
勉強しているのですが、知れば知るほど
身が引き締まる思いになります。
それは何故かときかれれば
伝統工芸品の製法は一般的な工芸品とは
違い、昔ながらの製法で作られており、
そのひとつひとつは先人から受け継いだ
人類の叡智であるからという理由がまず
挙げられます。
伝統工芸品でない工芸品は人類の
叡智ではないのか・・・ときかれれば
それはそれで困ってしまいますが、
昔ながらの製法でつくられた伝統工芸品は
手間暇かけて自然に逆らう事無く、自然に
寄り添う形で、つくられていることが多い。
自然に寄り添うからこそ時間がかかるし、
大量に生産する事はできません。
対して一般的な工芸品は、大量生産を
目論み、如何に時間をかけず効率よく
つくるかが求められます。
時間をかけてつくった伝統工芸品と
時間をかけずにつくった工芸品。
多くの場合、素人目でみると
この二つの違いはよくわかりません。
製品としてみればどちらも正しい。
どちらも正しいです。
また、最近の近況で言えば、ぼくは藍染めが
好きで、その製法を今勉強しているのですが
藍染めにも悲しい歴史があります。
19世紀のおわりにドイツでつくられ、
またたくまに広がった「インディゴ・ピュアー」。
これは人工的につくられた人造藍であり
安価で楽な製法なのですが、これが広がったばかりに
日本の伝統的な工芸品である本建ての正藍染めが駆逐
されてしまいました。
なぜなら安価で、手間ひまをかける事無く簡単に
大量に製造できるからです。
人間とは悲しいもので易きに走る生き物。
見た目が変わらないと言えば、いくらでも
ごまかしがきくわけですからそうなりたくなる
気持ちもよくわかります。
多くの人びとは細かい事は気にしませんからね。
要するにある程度教養があるひとではないとわか
らない事に関しては基本的にごまかしがきくという
ことです。
ごまかしがきくなら、楽で手間のかからない製法の
方がいい・・・そう考えるのは至って普通の事です。
今昔ながらの、伝統的な製法でつくられている
紺屋は実は日本にほとんどありません。
語弊を恐れずに言えば
絶滅危機にあると言ってもいい。
数える程度しかないといっても
いいかもしれません。
「え?いろんなところに藍染め屋あるじゃん」
もしかしたらそんなことを思うかもしれませんが
そのほぼ全てと言っていいくらい、それは伝統工芸品の
製法とは違います。
本藍染めだとか、天然灰汁発酵建てによる本藍染だとか
いろんなところで藍染めについて書かれていますがそれらは
藍染めである事には間違いありませんが伝統工芸品の藍染め
とは似て非なるものです。
本物か偽物かときかれればもちろんどちらも本物になるの
でしょうが、伝統工芸品としての製法でつくられたものか
否かときかれればハッキリとNOということになります。
詳細な説明は省きますが、
自然発酵による本建ての正藍染めこそが昔ながらの
伝統工芸品としての藍染めです。
また、よく誤解されているようですが
藍染めは染め液に入れて取り出した際
本来は緑色になりません。
茶色になります。
茶色になりそれが酸素と結合する事により
やがて綺麗な青色になっていきます。
じゃあなんで緑色になるのかと言えば
それは化学薬品を使っているからです。
化学薬品を使えば安易に藍染めを
することができます。
そこには熟練のノウハウは
必要ありません。
ただ説明書通りに分量を間違えずに
やれば同じような藍染めをつくる事が出来ます。
だってそれが科学ですから。
科学に頼れば一様にかつ均等に同じものを
つくりあげることができます。
しかし・・・
それも藍染めには間違いありませんが
本来の藍染めとは似て非なるものです。
インターネットで検索すると様々な藍染めの
手法が出てきて、染め液の作り方が出てきて
結局、どれが正しい知識かわからなくなって
しまい、混乱してしまいますが、そもそも現代の
藍染めに関する認識自体が変わってきているの
ですから、それは当然の事です。
伝統工芸品としての手法は、
効率化を求めた工業製品によって
駆逐されていってしまっています。
もちろん、それが一概に悪いと言うわけ
ではありません。
その恩恵を受けているのも事実です。
便利になるのは果たしていい事なのか・・・
効率化を求める事は果たしていい事なのか・・・
そもそもその問い自体が間違っている
のかもしれません。
伝統工芸品を学んでいると
効率化を求めていること
即ち、ぼくがやっていることは正しい事
なのか・・・そんなことを考えてしまいます。
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海都
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