鬱憤を晴らすための手段としての業。

多分だけれど、語弊を恐れずに言えば、なにか、こう、鬱憤を晴らすためにビジネスをやっているのではないかと思う時がある。

 

ぼくはその鬱憤を晴らす手段として、ビジネスをやっているけれども、もちろんそれは人によって違って、芸人さんだったら、その鬱憤とした気持ちを芸に昇華させて、人の笑いをとるし、作家さんだったら、その鬱憤としたやり切れない気持ちを言葉にして落とし昇華し素晴らしい作品を書き上げる。

 

それぞれ、手段は違うけれども、本質的にはどれも同じなのではないかと思う時がある。自分の中の沸々と言葉にできないけれども煮え滾っている気持ちをそれぞれの職業という手段でぶつける。

 

それがぼくたちが生きているこの世界なのかも知れない。そう思う時がある。